puhopuho’s diary

主に読書管理として。

「役立つ/役立たない」について

 人文系の学部が大学の中でどんどん消えていく運命だと言われている。その中で「役に立たない学問は廃止すべきだから」とか、その反論として「『役立つ/役立たない』で学問を論じるべきではない」とかいった言葉が飛び交っている。

 

 昨日も飲み会でM2に「社会学って何の役に立つんですか?」と聞かれた。お前、M2でその質問はないわ・・・、と思ったのだが、驚いたのは隣に座っていた先生までもが「いやー、役に立たないねぇ笑」などと答えていたからだ。自分でもその場で咄嗟にうまく答えられたかどうかは妖しいが、今度からはそういう質問に対してはいくつかの答えを用意しておこうと思った。そういう質問に対して、「そんな質問は下らない」とか、「『役立つ/役立たない』の問題じゃない」とか、あとは「今すぐに役立つものではないが、将来きっと学んでいて良かったと思う・・・はず」などといった答えは、とんでもなくつまらない上に、社会学っぽい答えですらないと感じるからだ。

 

 では社会学っぽい答とは何か。

 例えば「社会学って何の役に立つんですか?」と言われたら、「お前は何の役に立っているの?」と聞き返す、というパターンを考えてみる。または「その質問はお前にとって何の役に立つの?」というのでもいいかもしれない。「役に立つ/立たない」という区別を質問者自身に当てはめてみる、というかたちで、社会学の自己論理とか再帰性とか呼ばれる考え方を実践してみる方法だ。ここでは何のために・誰にとって・どうのようなかたちで「役立つ/役立たない」という区別が発生しているかを反省的に捉える効果が期待されている。社会学者にとって社会学は飯を食うタネであり、人類学や民俗学や心理学や経済学にとって社会学は分かりやすい仮想敵であり、大学再編を推し進める政界人にとって社会学とは文学や哲学と同じく、予算削減の対象となる学問の一つということになるかもしれない。この中で社会学を役立てているのは社会学者だけのように見えるが、実際はネガティブなイメージを纏うことによって他の学問や政界人の能力を見せる機会を提供しているという点では、他の二つにとっても社会学は役に立っていると言えるかもしれない。

 

 つまり、「役に立つ/立たない」という有用性の区別を用いる人は、往々にして自分自身をその区別から除外して、あたかも特権的な立場から役に立つか立たないかをジャッジできると思い込んでいることが多い。それに対して社会学(者)は、「いや少なくともお前よりは役に立っているかもよ?」といったかたちで、観察者を当事者の立場に引きずり込む。

 

 友達なくしそう・・・。

 だが、この答え方には哲学的な思索や相手をけむにまくレトリックを駆使するようなセコさとは無縁の、経験科学としてのまっとうさ、誠実さがあるように思う。社会学や人文学の未来を憂う前に、まずお前の未来を考えろ。日本国家や世界の理想を語る前に、まずお前の人生の理想を考えろ。なぜなら社会学は、少なくとも現実逃避のために役に立つ学問ではないのだから。そのことを、実際に社会学的な思考方法を使って控えめに応える。その例としてこの聞き返しは役に立つかもしれない。